一冊の本にはどんな花が?読み終えたあなたの心の中にはどんな花畑が?彩り豊かな毎日を、本が創りあげてくれます。

日常生活では常にショートヘアーなので、たまにウィッグを付けて街へ出ると何だか違う自分に生まれ変わったみたいで凄く楽しくなります。

私は本でできています

図書館で絵本を数冊借りてきました。調べ物のためです。何か調べたいものがあるとき、私は基本的に子供の本から探します。大人向けのものより絵や写真は多いし、文章も簡単。初心者が読むには最適だと思っています。そして子供のものを読み終えたら大人の本でもっと難しい内容を読みます。そのころには基本がわかっているし、たくさんのイラストでイメージもつかみやすくなっているし、ステップアップにはぴったりですよね。そんなわけで、私の部屋には大人向け子供向け、様々な本が置いてあります。本棚に入らなくて床の上に積んであったり、机の上に置きっぱなしだったり。ほかの人が見たら「これ、何歳の人の部屋なの?」という感じだと思います。自分でもときどき思いますから。でも、私の好きなものがたくさん詰まった部屋でもあります。絵本も漫画も文芸書もビジネス書も。読んだ本の全てで私の心はできています。肉や魚が人の体を作るのなら、本は心の栄養剤……とは、小学生の頃に聞いた言葉ですが、本当にそのとおりなんですよ。たくさんの糧を得て、人は成長していくのです。心の成長は大人になっても続きます。これからも読みたい本を読んでいきたいと思います。そのためにまた図書館に通います。

紙袋からブックカバーへ

最近一冊の本を、一気に読みきることができません。読んでいる途中なのにほかのジャンルの本が読みたくなってしまうのが原因で、それはしかたないと思っているのですが、おかげで読みかけの本がたまっています。私、今まで本を読むときはブックカバーを付けていたんです。書店でつけてくれるものではなくて、革製だったり布製だったりのカバーです。しかし今は読んでいる本がたくさんあるので、本にカバーがついていない状態。習慣なのでやはりつけたいなあ、でも紙をまくだけでは味気ないし、せめてもう少しおしゃれにできないかとネットを探していたら……ありました。お手製のブックカバーを作る方法。しかもそれは、お店でくれる紙袋で作れるんですって。紙袋っていろいろなデザインがあって、かわいいんだけど使わない、でもかわいいから捨てられない、みたいものもありますよね。そんな状態で我が家にたまっていた紙袋に、やっと日の当たるときがきたようです。しかもこの作り方、切って折るだけなので、ぶきっちょな私でも簡単にできそうです。紙袋……その発想はなかったですね。読みかけの本がたまってしまうのは残念ですが、かわいく飾って少しでも早く読み終えるように、頑張ります。

2日目のカレーは形をかえて

カレーが丸二日続いたことがあります。家によってはカレーうどんにしたり、そばにしたりと味を変えたりもするようですが、我が家はずっとカレーライスです。でもさすがにだんだん飽きてきて、いろんなトッピングがのったりします。福神漬けに、ラッキョウ、漬物。最初はトッピングなしなので、漬物の味も新しい感じがします。でも結局カレーはカレーなんだよなあと思ったときに、本で見かけました。ご飯の形を変えたカレー! ごはんで動物の形を作って、そこにカレーをかけるのです。すごくかわいい! ということで、普段はこんな器用なことはしないのですが、ご飯をうさぎ型に盛って、周りにカレーをかけてみました。目は福神漬けです。不器用な私が作ったので少し形はいびつでしたが、それなりにかわいくて、お子様ランチみたいで素敵です。……味はカレーですけどね。でも料理は視覚も大事だと思います。きゅうりの漬物と一緒においしく食べました。これ、親戚の子供が来たときに喜びそうですね。今度やってみることにします。本では立体的な動物を作ってあったりしたけれど、それは私には無理……かな。子供とできるカレーとか、そんな本が私の手先レベルにはあってるかも。今度探してみます。

有名人と私の間に差異はない

「小説家になりたいのなら、書けばいい」と言ったのは誰だったでしょう。「どうしたら作家になれますか?」という問いに対しての答えだった気がします。それを見たとき、私は「たしかに」ととても納得しました。医師になるためには資格が必要ですが、作家には必要ないですし、今の時代ならネットで公開すれば立派なネット小説家ですよね。先日ラジオに出ていたミュージシャンの方が、そんな感じでした。ネットで歌を流したらそれが人気を呼んで、今は本業で歌を歌っているそうです。書かずにはおれない、歌わずにはおれないというのが、もしかしたら芸術家なのかもしれません。プロとしてそれ一本で食べていくにはもちろん世間受けとか考えなくてはならないし、自分のしたいことだけしていてはだめかもしれませんが、それでもやらずにはいられない。かっこいいなあと思います。自分がいきなりそうなるのは難しいので、有名人のラジオを聞いて、本を読んで、少しでもその力を自分に取り組んでいけたらいいな。ということで、最近自伝小説やエッセイを読んでいます。かっこいい人たちだって特別なわけではなく、私たちと同じ人間なのだから、私がそうなれないことはないと思うんですよ。

行けないからこそのツイッター

ツイッターでお気に入りの書店のアカウントをフォローしています。結構頻繁にセールや特集のお知らせを呟いてくれて便利です。しかしお店に出かけられるかと言えば、そうでもないんですよ。なにせお店は在来線と新幹線を乗り継いで行かなければ行けない場所。旅行の際に訪れた店なのです。「楽しそうだなあ。よし、今日行こう!」と行ける距離ではありません。だったらなぜフォローしたのかと言えば、そのお店がとても素敵だったからです。店舗は小さく、好きな本が必ず揃う可能性は限りなく低いでしょう。でも私は、そのお店は欲しい本を買いに行くのではなく、お店にある中から本を選ぶ場所だと思いました。どんな頻度かわからないけれど、変わるテーマにそっておかれた本。普段の私なら選ばない内容のものです。そうだな。例えるならば、そのお店は宝箱か福袋でしょうか。中身に出会う喜びがあるんです。遠くだから行けないけれど、また行きたいという願いを込めて、フォローしたアカウントです。今度その地に行くのはどのくらいあとかわかりませんが、絶対にまた行きたいと思っています。できれば、ちゃんとイベントをやっているときを狙って、旅行計画のメインに近い形にして、ね。

男の子みたいな女の子でした

短髪で、黒いランドセルを背負い、グレーのシャツにジーンズで、足もとは緑色の運動靴をはいた子が、元気に道を走っていました。車の中からちらっと見ただけの知らない子です。あの男の子、あんなに走って疲れないのかなあ。年よりじみた感想とともに見つめて数秒後、その子がこちらを振り返りました。その眼鏡をかけた顔を見た瞬間、私は自分の間違いに気づきました。その子は女の子だったんです。たとえば女の子ならば髪は長めであるとか、ランドセルは赤だとか。女の子はかくあるべきという思考が自分の中にもあったことに、初めて気がつきました。私自身、彼女と同じようにずいぶんボーイッシュな子供だったんですけどね。母が買ってきてくれる女の子向けの童話が好きではなくて、冒険ものばかり読んでいたあの頃。『海底二万マイル』を兄弟全員が読み終えたら『ガリバー旅行記』を買ってくれると母が約束してくれたのに、読破したのは私だけだったんですよね。結局本は買ってもらえず、実は今でも読んだことがありません。かわいい子供を見て、懐かしくも腹立たしいできごとを思い出しました。しかたがない、今度図書館で借りてこよう。今まで忘れていたのに、思い出したとたんに読みたくなるのだから、私は随分単純です。

視点はジグソーパズル

わたしが読む小説は、一人称、三人称を問わず、最初から最後まで視点が変わらないものが多いです。変わるものがあったとしても、章によって等の決まりがあるものがほとんどでした。しかし先日、章もページも関係なく、シーンごとに視点が変わる話に出会いました。たとえば、このシーンではAさんが語っているけれど、次のシーンはBさんで、次はCさんといった感じです。当然場面も、ときには時間すら飛びます。読み始めのときは頭が混乱して「これはどこの誰だっけ?」と読み返すこともしばしばでした。しかもすべてが唐突なシーンなので、どうしてこうなっているかがわからずに、もう途中で読むのをやめてしまおうかと思ったくらいでした。しかしあるとき、作中で、Aさんの行動とBさんの行動がかちりと一致したのです。Aさんがこうしたから、Bさんがこうしたんだと流れがつながったんですね。そのときの「ああそうか!」というすっきり感は、今でもよく覚えています。パズルのピースが見つかって、ジグソーパズルが完成した!まさにそんな心境でした。それからはすいすいと本文を読むことができました。緻密な計算の上に、その本は書かれていたのでしょうね。あらためて、プロの作家さんの力に感動しました。

運転指南書を読んでもだめでした

私は車の運転が下手です。自動車学校はS字とクランクの学習のところ以外は一発合格で通ってきましたが、たぶん、自分の車の車幅をちゃんと理解していないんでしょうね。ぎりぎりの道とか、狭いところの駐車とか、そういうのが苦手です。それじゃいけないと何年も前に、女性ドライバー向けの運転がうまくなる方法が書かれた本を読んだことがあります。本を読んで運転がうまくなるか、それより練習あるのみだろうと言われてしまえばそうですねとうなずくしかないのですが、私、基本的に本から入るタイプなんですよ。でも結果を先に言えば……正直、記憶に残っている部分はあまりありません。書いてあることを実践しようにも、やっぱり苦手意識が先立ってしまうんですよね。それで結局本は読むだけで終わってしまった、と。運転に問題はない……はずですので、今は無理をしないことを心がけています。同じサイズの車が通れる道も、自分が無理と判断したら走らないとか。狭い駐車スペースではなく広いところを選ぶとか。最悪、だめだと思ったら止まる、これでしょう。止まって考えれば何とかなるものです。そもそも会社と病院とスーパーくらいですからね、車を使うのは。事故をするよりは安全優先なのです。

司書の先生の思い出

高校のとき、図書館に入り浸っていました。友達が図書委員だったからというのもありましたし、司書の先生が好きだったからというのもありました。背が低くて優しい、女性の先生でした。図書館のカウンターの奥には小部屋があり、そこが先生の仕事場でした。図書委員の生徒がカウンターで仕事をしているときは、先生はその部屋でなにかをしていて、隠れ家的なその場所は、私にとってはちょっと特別な場所に思えました。でも時折、先生はそこに私達を読んでくれました。先生仲間に貰ったというどこかのお土産のお菓子をこっそり分けてくれたり、新しく図書館に入る本を先に見せてくれたり。進路の悩みを相談したこともあります。もうだいぶ昔のことです。私達が卒業した後、先生は別の学校に転勤になってしまったようです。何年か後に会いに行ったときには、知らない先生がいました。それをひどく寂しく思うと同時、そのときになってやっと、私達の学生時代が終わったことを実感したり……その頃には、とうに大人になっていたんですけどね。懐かしい場所は、気持ちを引きもどします。先日通りすがりに見た母校は、いつのまにやら男女共学になっていて、制服も変わっていました。ちょっとだけ、寂しい気持ちになりました。

灯台もと暗しの探し物

昨日帰宅すると、母が探し物をしていました。「あれ、ない……ちょっと置いただけなのに」何を探しているのかと尋ねたら、じゅうたんが動かないようにとめる、あの画鋲のようなものを探しているらしいんです。え、それはないと困るよ。誰かが踏んだら危ないし!二人して目を皿のようにして探し回りしばらく後。ありました。母の部屋の机の上、灰皿の後ろです。「お母さん、あったよ。もう、しっかりしてよ」余計なひと言がついてしまうのは仕方がないことですよね。「灯台もと暗しだった」と母は言いましたが、全く本当に、困ったものです。しかしかく言う私もこの手のことはよくやります。この前は適当に置いた眼鏡の場所がわからなくて探し回り、とりあえず落ち着いて考えようと椅子に座ったとたん、ぐしゃり。気づいたときにはもう遅く、なぜか椅子の上に置いてあった眼鏡はすっかり歪んでしまっていました。フレームは直ったのですが、かけてしまったレンズはどうすることもできず、結局新しく作り直す羽目になりました。予定外の出費が痛かったですが、これは勉強料と言うべきでしょうね。。そのへんに適当に眼鏡を置いてはいけないということです。おかげで今はしっかり眼鏡ケースに入れる習慣ができました。